ごあいさつ
私たちは出来るかぎり抜かない・削らない治療を選択しています。
そして、一番大切なのは、そういった治療に至らない方法を考えていくことです。
しかし人にはいろいろな考え方があります。歯に対しての考え方も同様で、その人にとってのベストな状態はそれぞれ異なります。
当クリニックでは、コミュニケーションを重視し、個々人の考えるベストな状態と、私たちの考える理想的な状態をすり合わせながら治療をすすめていきます。
患者さまがなぜ治療を必要とする状態に至るのか、その原因を考え対応していきます。
- 院 長
- 永田 紳吾
Shingo Nagata
略歴
- 昭和48年5月15日生まれ
- 鹿児島市立鴨池中学校、
鹿児島県立鶴丸高校を経て - 平成15年 3月 鹿児島大学歯学部卒業
- 平成15年 4月 倉敷医療生活協同組合 歯科診療所勤務
- 平成23年 4月 倉敷医療生活協同組合 歯科診療所退職
- 平成23年 5月 谷山ファミリー歯科 クリニック開院
谷山ファミリー歯科クリニック 院長の歴史
● 幼少期
私は鹿児島県志布志町で生まれました。
幼少期はとにかく乗り物が大好きで、家の中ではミニカーで遊び、外では近所の友だちと夕方まで子供用の車を乗り回すという日々を送っていました。
一方、遊びだけではなく、勉強も大好きでした。今、振り返るとよくやっていたなと思うのですが、朝6時に起床しチラシの裏側にひたすら平仮名を書き続けたり、買ってもらった本を読んだりと周囲を驚かせていました。
勉強も遊びも真剣に。それが私の幼少期だったように思います。
● 中学時代
中学生になると親に反発したくなる年頃ですが、私には一切そういった時期はありませんでした。何故かと言うと、母子家庭で母親は一生懸命働きながら、私の将来を想い、教育体制の整っている地域に引っ越しをしてくれたからです。
そんな母親の想い・背中を見て育ったので、絶対に迷惑をかけるようなことをしてはいけないと思っていました。何としてでも母親の期待に応えたい、その一心で勉強に打ち込んでいた事を今でも鮮明に覚えています。
ちなみに私の得意教科は数学でした。様々なアプローチをしながら、1つの解を導き出すプロセスがとても好きでした。
● 高校時代
高校時代の自分を一言で言えば「目立たない高校生」だったように思います。
高校に入学して5日目で病気にかかり、まさかの2週間の入院。周囲はどんどん友達をつくっているなかで、私は完全に遅れをとり、なかなかクラスに馴染むことができなかったことを覚えています。
そんな中、中学時代の友人から硬式テニス部に入らないかという誘いがあり、人生ではじめて部活動というものを経験しました。
高校時代の一番の思い出は友達4人と指宿まで自転車で向かったことです。単なる子どもの思いつきでしたが、片道4時間のあのワクワク感を忘れることができません。その夜は野宿をしようと決めていましたが、なんと友達のおじさんとばったり遭遇。野宿は危険だと止められ、おじさんに予約していただいたホテルに泊まることになりました。
残念でしたが、今となってはとても良い思い出です。
● 歯科医師を目指すようになったきっかけ
幼稚園の頃に、トラックの交通事故を目撃。もともと車が大好きだったということもあって、救急車で運ばれていく運転手さんを自分が救いたいと思い、まず私が目指したのは「医者」でした。
医者を目指し、予備校に通っていた時期に耳鼻科に通っていたのですが、その時の先生に口を見られ、「あなたイビキかくね」の一言に衝撃を受けました。
口を見ただけでそんなことまで分かるのかと感銘を受け、歯科医師を目指すことになりました。
● 大学時代
歯科医師を目指し、鹿児島大学歯学部に入学。高校時代に硬式テニスをしていたこともあり、大学でもテニス部に入部しました。
部活動以外では、とにかくアルバイトを沢山経験しました。工場にある大きなタンクを清掃するバイトや測量、焼肉屋でのバイト、家庭教師や塾講師と様々な経験を積むことができました。
接遇の大切さと仕事は1人ではできない、チームワークの重要性を学ぶことができました。
● 勤務医時代
大学を卒業後、倉敷医療生活協同組合の歯科診療所で勤務することになりました。
もともとはOBの繋がりで知った歯科診療所でしたが、見学に行くと、一番患者様の目線に立った診療をしている姿を目の当たりにし、また「地域まるごと健康づくり」というキャッチフレーズに感銘を受け、この場所で歯科医療を学びたいと強く思い、倉敷に引っ越す決意をしました。
患者様に寄り添った治療を提供するという理念のもと、診療を続けてきた8年間は私にとって大きな気づきと学びを得ることができました。
● 谷山の地で開業
鹿児島を離れ、勤務医として働いていましたが、母親が体調を崩すようになり、何かあった時にはそばにいてあげたいとの想いで、鹿児島に戻ることを決意。
そのタイミングで現在の場所がテナントに出たことを知り、谷山中央の地で開業することを決意しました。
右も左も分からない状態で開業したため、歯科医院に関する経営のことやスタッフとのコミュニケーション方法など分からず、日々悪戦苦闘し続けていました。
また、開業間もないため、当然のごとく患者様が全然来ないという日々が続きました。
そんな中でも、絶対に諦めるわけにはいかない。スタッフ・家族を守れなければ患者様
も守れない!
できることを全力でやりきろう。
その一心で朝4時30分に起床し、ビラを配り続けました。また、地域の活動があれば、積極的に参加し、地域の方々と関わりを持つようにしました。
このような積み重ねによって、徐々に患者様も増え、今ではファミリーで通っていただけるまでになりました。
辛いことや逃げ出したくなることも沢山ありましたが、今ではこの谷山という場所で開業できたことを心から嬉しく思っています。
● 歯科医師としてのやりがい
歯科医師としてのやりがいは何と言っても患者様からの「ありがとう」です。患者様が笑顔になって帰られる姿を見ると、歯科医師という職業を選択して、本当に良かったと思います。
また、最近「●●さんの紹介で来たんです!」と言われることが多くなり、本当に嬉しく思っています。患者様の輪が広がっていくのを感じられるのは歯科医師としてのやりがいに繋がっています。
● 大切にしていること
当院では痛い箇所を治療するだけではなく、なぜ痛くなるのか?なぜ予防が必要なのか?など、正しい歯科の情報を発信し、患者様の行動変容を促す事を大切にしています。
当院を支えてくださった谷山の皆さまに、歯科医療を通じて、恩返しをしてきたいと思います。今後とも谷山ファミリー歯科クリニックを宜しくお願い申し上げます。